──あいつ、ブスだしな。
「ブスという言葉が結論として通用する。こんな手で負けるのか、と絶望しました」(篠原さん)
ブスと言われて怒るのは格好悪い気がして、思いをのみ込み、苦しみながら考えた。
かわいくないといじられやすく、無用な攻撃を受けやすい。悪役さえまわってくる。『白雪姫』も『眠れる森の美女』も、おとぎ話でさえ、美しくなければ救われようのない物語ばかり。こよなく愛する動物や昆虫の世界なら、雌雄のリスクを負う側が美や力を体現するのはよくあることだ。人間の場合、女性に美が要求されるのはホントに妥当か。自分にとっては、話の面白さや知識にこそ価値があり、体重100キロを超す巨漢にも完全な内面の美しさを見つけられるのに、ほかの人は違うのか。
葛藤を言語化していくと、思考が整理できた。「ブス」という言葉の杭で打ち込まれた「悲しみ」の正体も、「怒り」だと気づけた。容姿をあげつらうのは卑劣な振る舞い。そんな幼稚な発想には怒っていいのだ!
「じゃあ、闘おう、と」(同)
女性の価値は美醜で、男性の価値は権力・財力という世界観があるなら、その土俵で私は男性の価値を超えよう。その瞬間、ブスと攻撃する論拠は崩れ去る。
「価値観の辻褄が合っていない人も、流されているだけの人も多いので、意外と話せばわかり合える気がしています。ブスという言葉で人が理不尽に傷つかないためにも、私、魔王みたいな力がほしいんです」(同)
(編集部・熊澤志保)
※AERA 2018年5月14日号