いとう:こういう自粛という形が連続している。下から自分たちで監視社会みたいにして、お互いを縛っていく。戦前は上から抑え付けられたように戦後語られてきたけど、本当はこうだったんだろうと。(中略)

金子:この人(引用者注・嶋田)がボソボソボソボソ言っていたことも思い出しますけどね。治安維持法が過剰に使われた。何とかこういうことはいろんな形で訴えていかにゃいかんと。

いとう:特定秘密保護法を見たときに治安維持法だと私は思いました。目立つところで言うことを聞かなさそうな人たちを引っ張っていく、ということが既に始まっているんだという実感はすごくある。(東京新聞14年8月15日付朝刊)

 日本はまだトラック諸島のようにはなっていない。9条俳句の事件も新興俳句弾圧事件よりはソフトに映る。だが監視社会化は対談当時よりも格段に進んだ。共謀罪も、そのための盗聴法の拡充も、街中に張り巡らされた監視カメラ網も。私たちは今や、家畜同然に一方的に割り当てられたID番号を、あろうことか“マイナンバー”と呼ばされ、利用を強制されている。

 歴史は繰り返す、という。だから金子は、一般からは俳人というより社会運動家のように見えかねない発言にも踏み込んだ。覚悟の意義は、訃報を伝えた保守系メディア──近年はネトウヨメディアに堕した──でさえ、オーソドックスな報じ方をせざるを得なかった現実だけでも証明されたと考える。

 被曝の人や牛や夏野をただ歩く

 2011年の福島第一原発事故を受けて──ただし現政権が誕生する以前──詠まれた句だ。ではあるけれど、このままでは避けられないかもしれない近い将来の核戦争をも予見しているとは言えまいか。

 復員後に復職した日銀で、「トラック諸島で死んだ人たちのためにも、平和の実現に体を張ろう」と組合活動に熱中。勤め人にとってはそれが唯一の方法論だったからだが、はたして地方を転々とする“窓際族”どころか窓の奥、要するに“窓奥族”にされたと苦笑する。それでも金子は、その怒りさえもエネルギーに変えて、句を詠んだ。

 新興俳句の流れを汲む“前衛俳句の旗手”として、伝統俳句派との論争にも情熱を注いだ。現代俳句協会の会長(後に名誉会長)にも就任した。87年に朝日俳壇の選者となった際は、朝日新聞社の社長が、「そんなことをしたら不買運動だ」という手紙を伝統派一部勢力に送りつけられた経緯もある。

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