2月20日に98歳で逝去した俳人、金子兜太。自宅に迎え入れてくれたのは4カ月前のこと。現代社会に対する危機認識を話しつつ、安倍首相にあなた俳句やらんか?って勧めてみたいよ、と笑った。ジャーナリスト・斎藤貴男氏が追想する。
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「私は何が本当なのか、本当でないのか、わからなくなる時がある。お前はいい加減な奴だ、本物じゃないのではと、自分でも思う。戦争の頃からだ」
──ニヒルな感じに。
「どうでもいいや、とね。女性がいてくれて、食い物があればいいや、というくらいの」
金子兜太が微笑んだ。昨年11月、私にとっては、これが最初で最後のインタビューになった。本誌「現代の肖像」の取材で、せめてあと1、2回は会い、じっくり話を聞くつもりが、この2月20日、急性呼吸促迫症候群で亡くなってしまった。98歳だった。
すぐれぬ体調が言わせた言葉でなかった保証はない。だが私は感銘を受けた。希代の俳人が、100歳を目前にしてなお悩んでいる。己の力では何も成し遂げたことがないくせに、やたら傲慢な手合いばかりが目立つ現代にあって、なんと謙虚で、正直な人なのか、と。
●大好きな小林一茶に倣い「荒凡夫」を自称する
「戦後日本の代表的な」「俳壇の重鎮」「大御所」「闘将」「戦後の俳壇リード」……。金子の訃報を、新聞各紙はこんな形容とともに伝えた。記者たちの苦労が偲ばれる。どれもその通りではあったけれど、紋切り型の慣用句で説明できる人物では到底なかった。
さりとて蛇笏賞や日本芸術院賞、文化功労者といった受賞・栄典の類いを並べるのもピントが外れている。そもそも文化勲章やノーベル賞を受けていないことのほうが不思議だった。
遡れば東京帝国大学経済学部卒、元日本銀行勤務の経歴。50歳代の写真を見ると、眼光鋭い、寄らば斬るぞのムードを湛えた男がそこにいた。その頃に旅先で詠まれた代表的な一句──。
人体冷えて東北白い花盛り
さまざまな解釈があるそうだが、花や雪の美しさよりも、「人体」の一語にどこかゾッとする怖さを感じたのは私だけだろうか。やがて金子は大好きな小林一茶に倣い、「荒凡夫」を自称した。「荒」は荒々しさというよりは「自由」のイメージ。
そして2016年1月。学術、芸術などの分野で傑出した個人や団体に贈られる「朝日賞」の授賞式で、彼は宣言した。