「私は存在者というものの魅力を俳句に持ち込み、俳句を支えてきたと自負しています。(中略)私自身、存在者として徹底した生き方をしたい。存在者のために生涯を捧げたい」

 存在者とは、「そのままで生きている人間。いわば生の人間。率直にものを言う人」だと、金子は言った。「荒凡夫」をさらに一歩進めた、悟りの境地のようなものを感じさせる。

「ただね」

 と話してくれたのは黒田杏子(79)である。生前の金子と最も近しかった俳人の一人だ。

「あの挨拶だけだったら、単なる格好つけで終わっていたかもしれません。あの方はやはり特別な存在でしたから。兜太さんが本当の“存在者”たちに出会ったのは、むしろあれ以降ではなかったか。以前は、私の知り合いで、軍隊では人間魚雷を発進させる任務を負っていた新潟の漁師さんに私がまとめた『語る 兜太』という本を見せて、『やっぱり俺らとは違う。これはエリートの言葉だ』と言われちゃったこともあるんです。兜太さんは晩年、あの方自身の理想に近づくことが確かにできたのだと思う。完成したとまでは言いませんけど」

●「平和の俳句」欄の選評に「好戦派、恥を知れ」

 黒田がそう感じることができたのは、朝日賞の挨拶から3カ月ほどを経た同年4月29日。「東京新聞」朝刊1面の「平和の俳句」欄の選評で金子が、

「好戦派、恥を知れ」

 と書いているのを読んだのだった。詠み人に向けた非難ではもちろんない。都内在住の74歳が詠んだ「老陛下平和を願い幾旅路」について、「天皇ご夫妻には頭が下がる。戦争責任を御身をもって償おうとして、南方の激戦地への訪問を繰り返しておられる」と綴った後に続けられた、腹の底からの叫び。

「普通はあり得ない選評でしょう? あれには私もビックリした。平和の俳句では他にも、兜太さんと同い年の方の、自分は体を壊して兵役に就かず、この年まで生きている、死者たちにすまないという内容の句に、なんと謙虚な、と返したり。

 朝日とか読売とか、私が選者になっている日本経済新聞とかの俳句欄には、いわば俳句に慣れた人たちが投句してくるのに対して、東京新聞はそうじゃなかった。それまで俳句と縁がなかった人たちが、無我夢中で、句だけでは収めきれない思いの丈まで、ハガキに書き込んでこられる。兜太さんはそういう人たちと、紙面を通した対話を真剣に重ねていらした」

次のページ