元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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作家の石牟礼道子さんが亡くなりました。お会いしたことはありませんが、訃報を食い入るように読みました。
恥ずかしながら、石牟礼作品を実際に読んだのは最近のことなのです。3年前、新聞社でコラムを担当したものの何を書いていいのやら迷いに迷っていた時、雑誌の記事で、福島の原発事故の被災者が水俣病患者と交流していることを知りました。これまた恥ずかしながら初耳でした。そればかりか、なぜ半世紀の時を隔てた被害者が結びつくのか全くピンとこなかったのです。手に取ったのが『苦海浄土』でした。死ぬほど圧倒されました。大企業が「何もない田舎」に潤沢なお金を、そして汚染物質を溢れさす。その大きなうねりの中で人はどうなっていくのか。天国と地獄がマーブル模様のように絡み合った世界を、石牟礼さんは魂が飛び出してくるような人々の肉声で描き出していた。それは単純な勧善懲悪なんてもんじゃなく、壮大なファンタジーでした。読むうちに何が天国で何が地獄かがわからなくなってくるのです。どうしたらこれほど深い取材ができるのかと打ちのめされすぎて、コラムのテーマにするのはもちろん、読み返すこともできなくなり今に至ります。
石牟礼さんは最近の連載の担当記者に、「福島と水俣で起きたことの背景にあるのは、お金が一番の生きがいであり倫理になってしまっていることです」と語ったそうです。この重い問いについてしばし考え込みました。その「背景」の中で追いやられ、傷ついているのは福島や水俣の被害者だけじゃないように思いました。私たちは日々、誰かを追いやり、誰かを傷つけ、そして自分自身も追いやられ、傷つけられているのではないでしょうか。だとすれば、この不安な時代を変えられるのは私たち自身しかいない。パーキンソン病を患いながら、亡くなる直前まで書くことをやめなかった石牟礼さんのあまりにチャーミングな笑顔が全てを語っています。そこには不安など微塵も感じられません。本当は誰もがそのように老いていけるはずなのです。
※AERA 2018年2月26日号