そんな中、東武宇都宮駅周辺の路地にも、独特のちゃんぽんが癖になるオギノラーメンや、女子向けセットが充実の洋風カレーのフジなど、昔ながらの店もポツリポツリ。私としてはついそちらに声援を送りたくなってしまう。しかし、2010年には県を代表するステーキの名店だったグリル富士も閉店するなど、宇都宮もやはり絶メシ地帯には相違ない。

 そして都民の私にとっても、この「さらば、町のソウルフード」という事態は他人事では決してない。いや、これは東京でこそ繰り広げられてきた現象なのだ。戦後の開発が早かった地域から順にどんどん個人経営の飲食店が消えていき、下町エリアでさえ、3世代以上生き残る店を滅多に見かけなくなった。

 北口駅前の再開発で揺れる、西武池袋線ひばりケ丘駅周辺は、現名称の由来であるひばりが丘団地が空洞化し始める前後から、30~40年選手の老舗が一気に閉店に追い込まれていった。南口の谷戸商店街で父が50年ほど前に始めた蕎麦屋をともに営んできた安部秀一さんも、10年前に泣く泣く廃業を決めた。

「団地や大工場跡地に高層マンションは建つんですが、移り住む住民たちには店屋物を取る習慣がない。老朽化した店舗の改装に莫大な費用がかかるとわかり、潔く閉めました。周囲にあった10軒近い蕎麦屋もその後ほとんどなくなりましたね」

 寿司屋も同様で、チェーン店進出の煽りを受け、気づけば現在一店もない。一昨年夏にさかえや(西東京市)という老舗とんかつ屋も暖簾を下ろし、満足な揚げ物すら食べられないのだ。そんな町に私も住んでいる。(ジャーナリスト・鈴木隆祐)

AERA 2018年1月22日号より抜粋

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