

昨年9月末、群馬県高崎市が市内の老舗食堂を「絶メシ」と銘打って紹介するサイトを開設し、大反響を呼んでいる。絶滅に瀕する食堂を抱えるのは同市だけではない。昭和の大衆食堂はどこへ向かうのか……。ジャーナリスト・鈴木隆祐氏がレポートする。
【フォトギャラリー】自治体も支える昭和から愛された我が町食堂
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30年ほど前に高崎経大を卒業し、電機メーカーに勤務する田村知之さんはやはり量が多いことで知られる、シャンゴやボンジョルノといった高崎パスタの名店にもよく通ったという。上州のからっ風の群馬は小麦の栽培に向いており、県民には粉モン好きが多い。高崎で最後に訪ねたイタリア料理のデルムンドの店主、高橋康夫さんもシャンゴで数年修業を積んでいる。
「初めはそっくりのソースのパスタを出していた。でも、徐々に向上させないと本家にも、続々現れる他店にも負けちゃう」
絶メシリストを見て、東京から同店に駆けつけた老夫婦もいたほどで、サイトの集客効果は絶大。企画自体は成功したと言えよう。現に「経済効果も年間10億円」との試算が出ている
──とは市当局者の弁だ。
だが夫と二人三脚で店を営む妻の恵美子さんは、デルムンドのある高崎駅前の衰退を嘆く。
「あちこちに町の機能が散らばり、わざわざ中心部まで出ずに済むようになったんです。それに車を止めやすいほうがいいと、モールやロードサイドに人が流れてしまう」
そこへたまたま、40年来の常連が訪れた。康夫さんは以前、結婚式場に勤務していたのだが、そこで同僚だった斎藤洌志さんだ。現在は埼玉県深谷市でバラ園を経営する。斎藤さんはここでは大好物のボンゴレしか食べない。いや、ボンゴレが食べたくなるとこの店に来るのだ。
満足げに食べ終わると、斎藤さんは「もし店を閉じるならレシピを教えてほしいと頼んでいるんですよ」とジョークを飛ばす。その頃には店は満員の盛況だった。私がミートソースのレシピを知りたがる客も多いでしょう、と尋ねると、恵美子さんは「何時間も炒めた玉ねぎだけで甘さを出すので、家庭では再現できないかも……」と心持ち胸を張って答えた。