高梨は「やはり、どこか違うところがある」と、日本中の期待を背負った五輪の空気を振り返った(写真:日本雑誌協会代表取材)
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 金メダル最有力候補と言われた高梨沙羅(17)の姿は、表彰台になかった。目に涙をため、口をついたのは、「支えてくださったみなさん」への思いだった。

「周りの人たちの思いを沙羅は人一倍感じているから、それだけに力んでしまったのかな」

 高梨が所属していた上川ジャンプ少年団の代表、水野英修さん(43)はそう話す。地域の人たちが手弁当で支える小さなチーム。「みんなのおかげで飛べるんだよ」と話すと、高梨は真剣な顔で聞いていたという。

 小学2年でジャンプを始め、元選手の父・寛也さんが基礎を教え込んだ。同じ北海道上川町出身で、過去5回の冬季五輪に出場した元ジャンプ選手の原田雅彦さん(45)は、こう話す。

「お父さんは一つ上の先輩で、小学生の時からジャンプの王様でした。その技術をしっかりと教えたんでしょうね」

 高梨は旭川市のグレースマウンテンインターナショナルスクールに進学。トレーニングスタイルを崩さずに、海外の試合に必要な英会話を学ぶためだった。同校教頭の池田成二さん(44)には「留学も視野に」と話していたという。

「中学になかなか通えず、授業の遅れを取り戻したかったんだと思います。最初は思いつめたような顔をしていました」

 試合と練習の合間に、電車で約1時間、徒歩30分の道のりを通い、1日10時間以上机に向かうこともあった。教室の掃除も手を抜かず、帰宅後もスキー道具の手入れなどで睡眠は3、4時間の日も。それでも課題はこなしてきた。中学の勉強を2カ月で終え、2カ月弱で高校卒業程度認定試験に合格。その集中力と頭の良さは、ジャンプにも生きている

 またオリンピックに戻ってきたいと話した高梨。ひた向きな努力で、きっと初めての挫折を乗り越えていく。

AERA 2014年2月24日号より抜粋