自伝的小説『泣きかたをわすれていた』(河出書房新社)では、母のために刻み食をつくるとき、何を食べているかわからないと思ってまず原形を見せた様子が描かれている。

「読者の方から、『あれだけされたら、悔いはないでしょう』と言われるときがありますが、悔いはたくさんあります。選ばなかったことへの悔い。その答えは出ません」

「妙な話ですが、いつかどこかで母に再会できたら、あのときどうだった?とか、言葉の向こう側にあった彼女の思いを聞いてみたい。私がアクセルを吹かしているとき、母は『そんなに前のめりにならなくて大丈夫よ』と思っていたかもしれません。『一生懸命はお互いちょっと疲れるよ』と言いたかったかもしれません。私がしたこと、したかったことも含めて、母の価値観に合っていたかどうかはわかりません」

 その答えは別として、落合さんはこう思う。

「何より、人生でかけがえのない人の、人生の最期に、同じ時空を過ごせたということに価値があるのだと考えたいです。愛する人との別れはこの上ない痛みを伴うものですし、悔いと無縁な別離はないでしょう。結局、たどり着くのは次のような感慨です。あのとき私は失敗もした。けれども一生懸命だったよね。ごめんね、でも、つきあってくれて、ありがとう」

(本誌・大崎百紀)

週刊朝日  2020年3月6日号

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