

和服に京言葉がトレードマークの料理研究家、大原千鶴さん。「きょうの料理」をはじめ、テレビに雑誌に引っ張りだこの美人料理研究家は、仕事と並行して介護と子育てを両立してきたタフな精神の持ち主。気取った料理ではなく、家庭で普通に食べられる味を提案する姿勢にも、ご本人が表れているようで──。作家・林真理子さんとの対談では、キャリアのきっかけから伺いました。
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林:料理旅館「美山荘」(東京都・花脊)のお嬢さまならお料理のほうに行くのは当然かもしれませんけど、きっかけは何だったんですか。
大原:お料理が好きで、実家でもお仕事させてもらってたんですけど、結婚して子どもを産んだあと、主人の母の介護をしてたんです。家の中でのことばっかりして生きていくのがつらくて、何かつくっていく仕事がしたいなと思って、「料理研究家」という名前でお仕事してみようと思って始めたんです。
林:トントン拍子にすぐ料理番組なんかにお出になったんですか。
大原:義母を8年介護して、最後の2年ぐらいは寝たきりだったんですが、それと並行して子どもを育ててましたので、6年ぐらいはぼちぼちという感じでした。「グラツィア」という雑誌があって……。
林:はい、ありました。講談社の女性誌ですね。
大原:「京の手習いはじめ」という、石田ゆり子さんと一緒に錦に行ってお買い物して、うちでお料理してお伝えするみたいな企画があって、そのとき初めて私の料理が誌面に載ったんです。それをごらんになった方から連絡いただいたり、一緒にお仕事させてもらった編集の人とかカメラマンの人が、ときどきお仕事を持ってきてくださったんだけど、義母が亡くなって1週間ぐらいしたときに、編集の方から「本を出しませんか」というお話をいただいて。それからちょっとずつそういう形になっていきました。
林:子育てとお義母さまの介護をなさりながらって、ほんとに大変だったでしょう。
大原:ヘルパーさんに来てもらったり、なるべく自分で全部やらなくてもいいようにしてたんですけど、それでも人の命をあずかる重さみたいなものを感じるし、すごくストレスがかかりますよね。誤解を恐れず言えば、介護で虐待とかする人の気持ちもわからなくはない、というのも正直なところで。
林:そうでしょうね。