定年後、関連会社等に希望したポストを得られるのは一握り。「再雇用で、元部下に使われるのはイヤ」「会社は“卒業”したい」といった声もよく聞く。かといって、現役時代の社内階級など“売り”にならない。今さら他の業界のことなど分からないし……と悩むことなかれ。何歳からでもスタートは切れる。
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東京都杉並区の古本屋「モンガ堂」。古今東西の小説、エッセー、ミステリー、思想など約1万冊がびっしりの10坪の店内で、入店客に「いらっしゃいませ」とおっとりと声をかける店主の富永正一さん(69)が、定年までゼネコンに勤めていたとは意外だ。なぜ古本屋に?
「10年前に、岡崎武志さんにだまされちゃったんですよ(笑)」
岡崎さんは、『女子の古本屋』『人生散歩術 こんなガンバラナイ生き方もある』などの著作のある作家。杉並区内で「西荻ブックマーク」という本に関係するトークイベントが不定期開催されていて、当時大学生だった長女が何度か聞きに行っていた。週末に単身赴任先の千葉から戻って家でごろんとしていた富永さんに「お父さんも暇なら行ってみたら」と何げなく勧められたのが、岡崎さんが話す回だった。
「内容? たぶん古本の面白さを話されたのだと思いますが、忘れちゃった。何にせよ、岡崎さんのトークを聞いて“古本病”にかかってしまったんです」
ずっと勤め人だった身に、古本屋が「自由」の砦のようにも思えたという。
ゼネコンでは建築物件の見積もりや現場監督の統括を担当し、多忙続きだったため、定年後については「ノープラン」だった。何しろ理系。「古本屋に行ったこともなかった」のに、岡崎さんとの出会いを機に、夏目漱石の小説を読み始め、ハマった。「漱石と同じ時代を共有した作家は?」と調べ出したら面白く、古本屋を回って近代文芸の作家の本を次々と購入。
単身赴任が終わり、期間中に買った家財道具を保管しておこうと借りたトランクルームが本で埋まっていく。本好きの若い仲間たちとも知り合い、古本屋開業の夢が大きく膨らむまで時間はかからなかった。