「妻は『バカじゃない?』と大反対しましたが、『手伝わなくていいなら』と折れてくれ、退職金の多くを開業資金にあてました」
他店に勤めて修業するという一般的な古本屋開業のステップを踏まなかった。行きつけの古本屋の主に多少のアドバイスをもらっただけで、やみくも的に開業にこぎつけたのが定年の2年後、62歳の時だ。
「古本は捨てられるより、次の読み手に届ける方がいい。自分の居場所が、社会に少し貢献できる場になればなあ、という気持ちもありました」
と、富永さんは訥々と振り返る。以来7年。赤字になる月もあり、経営は楽でない。だが、業界の組合団体には属さず、主に客からの買い取りで古本を仕入れて売る。身の丈を超えない運営をおおらかに続けている。「この図録、少部数しか出ていないので、高くても欲しい人がいるんですよ」
そう言って、棚から現代美術作家の図録をひょいと取り出し、見せてくれたが、それは富永さん自身の興味が広がった分野だ。店内に設けた「貸し棚」は、以前の自分のような本屋開業に憧れる人たちに貸して応援する棚だ。「お金は要らないです、どうぞ」と蔵書を持ってくる同世代の常連もいるそうだ。継続は力なり。この店が、常連さんの居場所にもなり得ているんですね──と言うと、富永さんは「いえいえ、まだまだです」と照れた。
(ノンフィクション・ライター 井上理津子)
※週刊朝日 2019年11月8日号