

著名人が人生の岐路を振り返る「もう一つの自分史」。今回は1970年代、プロボクサーとして日本中の注目を集めた輪島功一さん。もしボクシングと出合わなかったら、あのときあの試合を戦う選択をしていなかったら……。過酷な少年時代を過ごし、ただ自らを信じ、自らに挑み続けた男が、その哲学を語りました。
* * *
東京に行けばどうにかなる。そう考えて、高校を中退して何のアテもなく北海道から出てきた。いくつか仕事を変わって、ボクシングを始めたときは建設会社で働いてた。
当時は東京オリンピックの建設ラッシュでね。人の何倍も働いて、歩合制だったから、半年でサラリーマンの年収の何倍もためたんだぜ。
現場から帰る途中、車の窓から「三迫ボクシングジム」って看板が見えてたんだよね。若いから体力も余ってたし、いっちょやってみるかって。酒やばくちに使っちゃうより、体動かしてクタクタになって寝ちゃえば、無駄遣いしなくて済むかな、とも思ったしね。
中にリングがあって、大勢がグラブ持って練習してる。「あと4カ月で25歳なんですけど、それでもできますか」って聞いたら、「金さえ払えばいいんだよ」なんて偉そうに言われたよ。
ジムにいるのは、一発当ててやろうっていう16、17歳の若いのばっかり。25歳っていったら、同い年のファイティング原田が引退するのとほぼ同じ頃だからね。コーチも先輩も相手にしてくれない。やりたきゃ勝手にやってろって感じだった。
コノヤロー、だったら注目させてやるって、誰にも負けないぐらい練習に打ち込んだんだよね。ほかのヤツがコーチに教わっているのをさりげないふりして聞いてさ。
「試合したい」って言い続けたら、ボディービル上がりのムキムキなヤツと戦うことになった。参ったな、って思ったけど、ガンガンいったら1回でKO勝ちしちゃった。
――デビュー戦から12連勝。うち11戦がKO勝ち。全日本ウエルター級の新人王になり、日本王座も獲得した。ガッツ石松は同じ年のライト級の新人王だった。