「メニューはあそこに書いたるさかい」
今度は水前寺清子みたいな婆さんが、カウンターの奥の暗がりから現れた。
ピリ辛いわし、キズシ、てっさ、てっぴといった言葉が並んでいる。後半の三つは何だかわからないので、ピリ辛いわしを注文する。
「よく向こう側(たぶん烏丸口側)の人らは、一見さんお断りなんて言いますやろ。でも、うちらはそんな偉そなこと言いまへん」
ふたりの婆さんから京都弁で親しく話しかけられるうちに、旅情がこんこんと湧き上がってくる。
「もうすぐ新幹線に乗らなきゃならないんです」
「そうどすか」
水前寺婆さんが、冷蔵庫から何かを取り出した。スーパーのパックに入ったまま干からびてしまったような、刺身らしき物体だ。
「うちは、てっさをこんな風に出してます」
あまり時間がない。
「じゃあ、それを頂きます」
「大将、おおきにな」
勘定を済ませて店を飛び出すと、羽二重婆さんの声が追いかけてきた。
「と・う・じ・み・ち、忘れんといておくれやっしゃ」
新幹線の車中で思いがけない出会いをうっとり反芻していると、急にお腹がグルグルいい始めた。やがて激しい腹痛。
「あの、てっさか……」
東寺通、忘れまへん。
※週刊朝日 2019年6月7日号