SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機さんの『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「旅情」。
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子供の頃から、取材旅行というものに憧れていた。
いつか大センセイも、気心の知れた編集者との珍道中なぞを紀行文にしたためてみたいと夢見ていたのだが、残念ながら、現実の取材旅行は過密なスケジュールに追い回される味気ないものが多い。
そこで、取材クルーがまだ寝息を立てているうちに宿を抜け出して、地元の人相手の喫茶店でモーニングを食べてみたり、新幹線が出るまでのわずかな自由時間に近くの商店街をほっつき歩いてみたり、そんなことをして旅情の欠乏を埋め合わせるのを常としている。
先日も京都取材の帰りに、小一時間ほど空き時間ができた。そこで、いつもはほとんど使うことのない、京都駅の八条口を出てみることにしたのだった。
観光客の多くは京都タワーのある烏丸口側へ出てしまうから、八条口は同じ京都駅とは思えないほど人の流れが少なかった。
五分ほど歩くと、なんと京都駅の駅舎が見える距離に銭湯があるではないか。まさに「人の行く裏に道あり花の山」である。
大センセイ、迷わず銭湯に飛び込んだ。まさか京都駅の間近で銭湯に入れるとは思ってもみなかった。
新発見にすっかりいい気分になって銭湯の周囲をぶらぶら歩いていると、東寺通という通りに出た。観光客など歩いていない、生活の匂いのする道である。
東に向かって少し歩くと、「立ち呑み」の看板が目に入った。こういう地元の人が通う居酒屋で方言に耳を傾けながら一杯飲むのが、大センセイ、大好きなのだ。
暖簾をくぐると、なぜか奥で飲んでいた婆さんがグラス片手に近づいてきた。
「大将、東京でっか」
大将と来たもんだ。
「ええ、まあ」
「東京は賑やかでっか」
「そりゃ、まあね」
髪をお団子に結った婆さんは、タレ目で色白で羽二重餅のようなほっぺたをしている。関東地方を根城とする大センセイの眷属(けんぞく)にはつゆ存在しない、いかにも京風の顔つきである。きっとこの婆さんのご先祖は、承久の変や応仁の乱をライブで見たに違いない。