つまり、手術後、今と同じ身体の状況に戻れないのなら、治療の意味がないということになる。医療とは、生身の人間の体にメスや薬で負荷をかけていくため、患者個々の反応は異なり、不確実な行為となる。どんな名医でも、100%完璧な治療を達成する契約は結べない。だからこそ、医療者はチームを組んで、全力で患者と向き合う。また、重症度の高い病気になったとき、どうしても後遺症が残ることはある。

 脳出血で血腫ができると、時間の経過とともに脳細胞を壊死(えし)させたり、脳の他の部位を圧迫したりするため、手術をするかどうかの判断には迅速さが必要になる。結局、この男性は内科的治療をしたが寝たきりになり、療養型の病院に転院した。

 事前指示書は、国内で当時「終末期」と言われた段階の医療について活発に話し合われた時期に普及が進められた。だが、その後の病院での実施状況から、特に生きるための治療を選択しなければならない場面で、前述の男性のように家族が誤解したり、実際の治療に適応せず医療者が対応できなかったりした事例が出た。

 このため、厚生労働省が「人生会議」という愛称を昨年発表した「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」という手続きが新たに加わった。ACPでは前述の足立医師の言葉どおり、「患者の考え方や価値観」を軸に、医療者と患者・家族が一緒に治療選択を考える。東京慈恵会医科大学附属柏病院総合診療部部長で、臨床倫理コンサルテーションチームも兼任する三浦靖彦准教授はこう言う。

「特に重病になったとき、どのように闘病していくかはイメージしておいてほしい」

 治療選択を事前に考えたとしても、患者の心は常に揺れ動く。そのためACPでは患者が一度決めた治療方針を変更してもよいとしている。

 三浦准教授はこう話す。

「病気になった自分を受け止めるためには時間がかかりますが、別の視点を持てるようになったことで人生を楽しまれている方を多く見てきました」

週刊朝日  2019年4月26日号より抜粋

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