足立医師はこう振り返る。「医療者の仕事は、患者さん個々にとっての“良く生きる”の実現をサポートすることです。このため、毎回の診察では何げないやりとりから『この方はどういう人で、どんな人生を送ってきたのか』を読み取ろうと考えています」

 治療選択では、医師の医学的な判断後、必ずインフォームド・コンセント(医療者からの十分な説明に基づく患者の同意)が必要で、「あくまでも医療者と患者が協働した結果、治療方針は決まっていく」と足立医師は言う。

 この女性は入院でなく自宅療養を選んだ時点で、命の長さよりも、凜とした姿で稽古を付けることを選んだ、と言える。どのように逝くかは、どのように生きるかにつながる。同時に、女性の子どもも母の考えを支持し、医師との信頼関係も積み重なっていた。

 本人が望んだ最期を迎えられるかどうかは、遺族のグリーフ(死別による悲嘆)とその回復過程に影響をもたらす。患者、家族、医療者のコミュニケーションが重要になってくる。

 命に関わる治療選択をするときには、患者も家族も正しい知識が必要になる。

 近年、「リビング・ウイル」や「事前指示書」を書く人が増えてきた。次は、この「事前指示書」を家族が誤解し、治療の妨げになった事例を紹介する。

 脳出血を起こして救急搬送された60代男性は、医師から「緊急手術で血腫(血の塊)を取り除けば、軽度の歩行障害と言語障害は残るものの、回復する可能性が高い」と診断された。

 この手術は1~2時間で終わることが多く、安全性も高い。だが、妻は夫が「事前指示書」を携帯しているため、「手術は必要ない」と言い続けた。

「事前指示書」とは、患者の意識が低下し、コミュニケーションができなくなった場合、人工呼吸器や心臓マッサージなどの医療ケアについて、あらかじめどうしてほしいかの希望を示す書面。おもに「人生の最終段階」と呼ばれる時期の治療選択で使われる。だが、医師が「今回は人生の最終段階の状態ではないですよ」と説明しても、妻は手術に同意しない。

 どんなに緊急でも、家族がいる場合、同意の取れない手術はできない。しばらくして、妻は「夫はジョギングが好きだったので、今後、走れないなら手術は不要です」と言いだした。

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