公立福生病院(東京都福生市)で昨年、人工透析治療をやめて女性患者が亡くなった件は、治療中止の是非などを巡ってメディアで議論が沸騰した。治療の選択をどう考えればいいのか。医療ジャーナリストの福原麻希氏が、20年超の医療現場の取材で見聞きした事例を紹介する。
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夫に先立たれ独居だった90代女性は、自宅の居間で人知れず最期を迎えた。遠方に住む娘が訪問したときは、すでに冷たくなっていたという。まず、自分の生き方を貫いたある女性の晩年を紹介しよう。
ホームケアクリニック横浜港南(神奈川県)の足立大樹(だいき)院長がその女性のかかりつけ医となったのは、亡くなる10年以上前だった。女性は高血圧の薬をもらうため、定期的にクリニックで診察を受けていたが、そのほかに治療が必要な病気はなかった。
診察時は毎回、女性が情熱を傾けていた芸術活動の話に花が咲いた。若いころから芸の修練を積み、弟子も抱え、指導者として誇りを持って稽古を付けていることが医師にも伝わった。
ところが、ある日、ひどく息苦しそうな様子で診察室に入ってきた。血圧と脈拍の数値が著しく高く、指先で計測する血中酸素飽和度も低かった。両足には、むくみも出ていた。
足立医師は急性心不全と診断し、すぐ入院の手配をすると話した。だが、女性は誰もいない家に帰りたいと主張し、「救急車を呼ばないで。そのことは何度も話しましたよね」の一点張りだった。理由は、夫が亡くなったとき、病院でのみとりに悔いが残ったから。「入院したら、今週の稽古ができなくなる」とも話した。足立医師は瞬時の判断にかなり苦慮したが、女性の子どもに事情と、帰宅後急変して死亡する可能性もあることを話したところ、それでも「本人の意向を尊重する」と伝えてきた。このため、足立医師は追加の薬を処方し、容体が落ち着いたことを確認してから、女性をタクシーで帰した。
このときは命に別条はなく、その後も通院治療を続けた。足立医師は訪問診療を提案したが、女性は治療を受ける姿を弟子に見せたくないこともあり、「大丈夫です」と通院を選んだ。