それで、高校2年の春休みに、ふらっと受験しに行ってみたの。受験会場には、本格的に役者を目指す人ばかり。レオタードにタイツにバレエシューズでばっちり決めて試験に臨む人たちの中で、私はウーリーナイロンの水着に素足です。アリアを歌う人もいるなかで、私は童謡の「月見草の花」を歌いましたね。
最終面接のときに養成所の主事の先生に「まだ高校2年生でしょ。もし合格しても、ちゃんと卒業してからいらっしゃいね」って言われたんです。でも私ね、「出来が悪くて落とされるなら仕方がないけれど、2年生だからっていう理由で落とされるのは、いやです!」って言ったの。その結果、三島の自宅に合格の通知が届きました。1年後に高校卒業してから養成所に入りました。
ですから、成蹊学園の松田先生のお導きがなかったら、芝居の道には進んでいなかったかもしれない。
それと、もう一つ、何といっても親のおかげです。父は、私を小さいころから歌舞伎や新国劇、新派などの舞台を観に連れていってくれてたんです。新聞記者だったので、しょっちゅう招待券をもらっていたのでしょうね。戦後ですから、私はお弁当が出るのがうれしくって同行していました。当時は、よくわからず観ていたけれど、素晴らしい舞台空間に触れて育ったんですね。
――養成所を卒業後、劇団新人会に参加。そこでプロデューサーの石井ふく子氏と出会う。石井氏プロデュースのTBS東芝日曜劇場「女と味噌汁」(作・平岩弓枝)でテレビ初出演。15年も続く人気シリーズとなった。
劇団新人会での私の初舞台は「オッペケペ」。川上音二郎という新派劇の創始者をモデルにしたお話です。渡辺美佐子さんが主役で、私は劇団に入りたてのぺーぺーでしたから、芸者その1、みたいな役どころ。川上音二郎が芸者遊びをしている、そのお座敷の一員だったんです。テンツクツクツク、テンテン、タン、ターン!って、座敷太鼓をたたく役でした。
渡辺美佐子先輩が稽古場に石井先生をお招きして、石井先生が私に座敷太鼓を教えてくださったんです。私は石井先生がどういう方かも知らなくて。そのあと石井先生から「女と味噌汁」のお話がありました。それを機に、池内淳子さんや山岡久乃さんといった大先輩方との長くて深いお付き合いが始まりました。