山岡さんには「藍子はばかだけど、そこがかわいい。芝居ができなかったら私は我慢できないけど、芝居ができるからいいわよ」って、ほんとにかわいがってもらいました。山岡さん大好きでした。だけど最後はね……思い出すだけで泣けちゃう。病室で「藍子、そばにいて」「ありがとう」って。
ちゃんと言うべきことは言ってくださる素晴らしい先輩方でしたね。
――「肝っ玉かあさん」「男はつらいよ」「渡る世間は鬼ばかり」など数多くのドラマに出演した長山。並行して、舞台の仕事も続けてきた。演じることの本質に違いはないからだという。役との向き合い方は、読書で培ってきた感性のたまものかもしれない。
演じる、役を作る、役を存在させる、というのは舞台でも映像でも同じ作業なんです。舞台はストーリーを通しで演じますが、ドラマは細切れに撮影するなど技術的なところで違うことはあるけれど、役を作っていくという点では変わらない。役を貫通させる思いは変わらない。セリフは決まっているけど、役柄の人間の中身は決まってない。中身を演じるのが私たち俳優の仕事ですから。
根幹はその役の人間性をどこでつかまえて演じられるか。その役の芯というか、根っこを自分の中でつかまえる作業ができれば、その木の枝葉がどういうふうに出るか、夏にはどういう色で、秋にはどうなるか、散るのか、散らないのか、鳥がとまるか、とまらないか、イメージできます。「その役を生きる」というとなんだか恥ずかしいですが、役を自分の中に取り入れるんです。演じるときに、その都度ね。
役への向き合い方は、幼いころから本を毎日のように読んできたことが影響しているのかもしれません。例えば、ある本を読んでいるとき、私はその本に入り込んでるわけですよ。別の本を読むときには、別の本に入り込みますが、前の本をもう一回客観的に思い返して、それでイメージを膨らますこともあるわけです。役の世界を自分で発展させる、孵化させるものがないと役を作ることはできないと思う。