だからこそ、私はできるだけ、息子が「欲しい」と言ったものを、心を鬼にして我慢させるようにしています。スーパーで、息子が大量のお菓子を両手にかかえて「欲しい」と持ってくることがありますが、私は「どうしても欲しいなら、一つだけ買ってあげる」と選ばせるようにしています。

 自分の要求が一切通ることがないというのも、「どんなに頑張っても手に入らない」という挫折経験として刻まれ精神をゆがめることになりかねないので、一つだけは買います。ただ同時に、欲しいものが簡単に手に入らない状況下におくことで、「なんとかして得ることができないか」と、貪欲になる力を鍛えることができます。

 息子は、大量のお菓子を比較しながら一つを選び、その後で、「これママが好きなお菓子だよね。一緒に食べたいなぁ」とか、「こっちはおばあちゃんのお土産に買わない?」といった、あざとい言葉で必死に手に入れるお菓子を増やそうとしてきます。こうして育っていく、「欲しいものをなんとかして手に入れたい」欲望を強くしていくことが、福沢諭吉が言う「学問に努める」力につながっている気がします。常に現状に満足できる状況下にいたら、今後「どうしても欲しいものを得るためのパワー」なんて湧いてきません。

■受動的に得た知識より、積極的に得た知識が強く保管される

 福沢諭吉が唱えた生活という部分に焦点をあてて考えてみましょう。受験のとき、「どうしてもこの大学に受かりたい」という貪欲な感情がなければ、壁にぶち当たったとき、容易に「もう1ランク低い大学でいいか」と諦めてしまうことでしょう。就職のときも、自分がいきたい職種があっても、「どうしてもそこに入ろう」と試行錯誤する前に、入ることができそうな場所へと妥協してしまうことでしょう。

 最近、「サイエンス」という学術誌に掲載された文献で、「その日に得た知識は、睡眠中に記憶に保管される。このとき、受動的に得た知識より、積極的に得た知識のほうが、より強く保管されやすい」ことが発表されました。つまり、脳内では、「人から容易に与えられたものは、同時に簡単に離してしまう」という事象が生じており、知識であろうが物であろうが、同じことだと言えるでしょう。「自分の力で努力して手に入れよう」と求める精神的なパワーの差こそが、大人になってからの、「学問に努めることで生じてくる差」に直接リンクしているのではないでしょうか。

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