ある日の早朝、Sから切迫した電話がかかってきた。

「今日は何としても出社しなくてはいけないんだが、どうしても会社の中に入れないんや。頼む、いまから本社に来てくれ」

 よく事情をのみ込めないまま本社の正面玄関に出向くと、むくんで蒼白な顔をしたSが立っていた。ふたりで本社の周囲を何周かした後、玄関に入ろうとしたが入れない。また本社の周囲を回る。入れない。回る。入れない。これを何度か繰り返したあげく、Sは涙を浮かべながらなんとか本社の玄関を潜っていった。

 なぜ、ああまでして会社に行かねばならなかったのか。一流国立大学の出身だったSには、大センセイのように「逃げる」という選択肢はなかったのだろうか。

 大分時代、Sとは専ら日曜日の夕方にドライブに出かけた。カーステレオをかけながら、どこだかわからない山中を走り回るのだ。束の間の逃避行だった。

 その日は大分からひたすら南下して、延岡の方まで足を延ばしたのだった。

 真っ暗になるまでやみくもに走り回って小さな峠を越えたとき、突如、目の前に異様な風景が広がった。赤く発光する何十棟ものビニールハウスが闇の中にぼっと浮かび上がったのだ。

「ヤマちゃん、見てくれよ」

 幻のような光景に、ふたりとも息をのんだ。

「すごいなぁ、きれいやなぁ。会社、行きたないな」

 それは、電照菊のビニールハウスだった。

 あの電照菊の里はいったいどこだったのか、いまとなっては確かめる術がない。

週刊朝日  2018年11月23日号

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