SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機さんの『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回は1年ほど職場を共にしたSという友人について。
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去る者は日々に疎しというが、友人のSが突然亡くなってからあっという間に2年の歳月が流れ去った。
Sは面倒な仕事をきれいに片づけ、懸案だった息子さんの運動部の試合の観戦も終えて、久しぶりに寛ぎながら家族と鍋を囲んでいるとき、いきなりテーブルに突っ伏してそのまま帰らぬ人となってしまったという。あまりにも唐突で、あっけない最期だった。
Sと出会ったのは、新卒で入った会社の大分事業所だった。大学時代、陸上の選手として鳴らしたSは、生き生きと軽快な足取りで歩く男だった。関西出身で話が面白く、女子社員に人気があった。大センセイとは“仕事嫌い仲間”とでもいう間柄だったが、仕事でパニックになっているときの形容がユニークだった。
「ヤマダ、ワシもうあかんわ。タコメーターは6000回転のレッドゾーンに突入してんのに、まったくスピードが出ない感じや」
神経が細く、高ぶりやすいところが大センセイとよく似ていた。
大学の陸上部の後輩を会社に引っ張ったのに、その後輩が内定を取り消されたときには、俄然、男気を見せた。
「絶対に内定の取り消しを撤回させないかん。本社行って談判してくるわ」
そう言ってスーツを羽織り颯爽と事務所を出ていった姿は、実に男前だった。
大センセイはその会社をわずか1年余りで逃げ出して東京に戻り、フリーのライターになった。そんな“過去の人間”のところにSから連絡が来たのは、30代も半ばの頃であった。
当時、大センセイは不安定な仕事と極度の貧困のせいでパニック障害という精神病を病んでいた。閉所に入ると呼吸が苦しくなるので電車すら乗れないという、奇妙な病気である。Sはそのことを聞きつけて電話をかけてきたのだ。本社勤務になったSは、鬱病を病んでいた。