そしてわれわれ高齢者が最も避けたいのが認知症である。80歳の声を聞く前からすでに何人かの友人たちは記憶を次第になくし、ケア施設で介護を受けている。現役中、敏腕の新聞記者、大企業の経営者などで鳴らした過去とはまったく関係なく、自己喪失に陥っている友を見るのは悲しい。
となると仮にこれから5~10年生きたとして、若い頃のように健康体で人生を楽しむという環境には到底ありえない。ただいたずらに、余生をこれまでの惰性で生きるだけという状況になりかねない。ここに長生きのリスクがあり、どう取り組むか大問題といえよう。
がんも悪くない 以上のような見聞を踏まえると、私が自分の人生を理想的に全うするのはいかに困難かがよくわかる。もし死にいたる病気を選択できるなら、私はがんも悪くないと考えている。
■がん死のメリットは3点に集約できる
がんに罹患した私自身の体験からすれば、他病での死と比較してがん死のメリットを3点に集約できる。第1に、他の病気と異なりがん患者は最後まで意識を鮮明に保て、自分の意思で終末期を過ごせるということである。この点、認知症や脳梗塞で寝たきりになり、自分の意思で療養できないケースとは大きく異なる。
第2に、死のかなり前までQOL(生活の質、生命の質)を維持しながら、これまでやってきたような普通の日常生活を送れる。私自身、がん発覚後まさにこのような形で生活し、当初の目標どおりに「がんとの共存」を実現してきた。根治できないがんとの向き合い方としては、理想の状況と言えよう。
第3に、自分の余命に関し口に出し明らかにしないとしても、がんの進行状況を把握していればいずれ人生の幕引きの時期はわかるはずだ。それに対し、ある程度時間をかけ終活が可能となる。
とはいえ、死に直面するがんに罹患した以上、精神を安定させ体力、気力を充実させ日常的にがんと対峙(たいじ)することはそう簡単ではない。
すい臓がんと聞いただけで、気持ちが萎える人も多いだろう。平均生存率など気にしないで、前向きに日々の生活を送ることだ。
◯石弘光(いし・ひろみつ)
1937年東京に生まれ。一橋大学経済学部卒業。同大学院を経てその後、一橋大学及び放送大学の学長を務める。元政府税制会会長。現在、一橋大学名誉教授。2018年8月25日、すい臓がんで死去。専門は財政学、経済学博士。専門書以外として、『癌を追って』(中公新書ラクレ)、『末期がんでも元気に生きる』(ブックマン社)など