私の世代になると同年配の同級生たちの3割はすでに逝っており、自分があと何年生きられるか余命がちらつく年頃といえよう。ごく楽観的にいって5年先、10年先ぐらいが生存の期間と思っていたが、末期がんとなったいま、余命が1年ないし2年程度のタイムスパンに短縮されたと感じる程度であった。
このような残された人生を達観して見られる背後には、人生の終盤を迎え公私にわたりこれまでやるべきことをやったという満足感が存在していることが大きい。公の世界では、研究者、教育者とし、さらに大学の行政に携わった者とし、それぞれある程度の仕事をなし終えたとの思いがある。
生涯学習の発展にそれなりに貢献し得たと考えている。それに一国の税制・財政政策に関与でき、自分の専門知識が実際の政策の現場に活用しえたことへの大きな喜びである。それに地球上のこれまで八十数カ国をすでに回り、改めて行きたい国や場所もなくなっている。
私(プライベート)の領域においては、家内と2人で子ども2人を育て上げ、おのおのよき伴侶に恵まれ、いまや社会人として自立している。親としての責任は一応果たしたというべきであろう。人生にはいずれ終わりがくるものだ。
■ほとんどの同年配者は病に苦しんでいる
80歳に達すると、小中高校あるいは大学の同級生や近所に住む高齢者たちのほとんどすべての同年配者は、どこか疾病を抱え病に苦しんでいる。やはりがんに罹患した者が多い。前立腺がんはもとより、肺、大腸、胃、食道、肝臓などのがんで枚挙のいとまもない。このほか悪性リンパ腫に苦しんでいる者も居る。
心臓疾患からバイパス手術を受けたりステントを入れたり、あるいはペースメーカーを埋め込み中というケースも多い。かなり多くの友人たちが、不整脈に悩み血栓をつくらぬように薬を常用しているようだ。それに高血圧、高コレステロール血症など循環器系の障害で、ほとんどすべての仲間が薬を手放せない状況に置かれている。週数回の人工透析などで身動きできない者もいる。
その他、手術で一命をとりとめたケースとして、よく聞くのが胸部あるいは腹部の大動脈瘤の破裂のケースである。白内障手術は日常茶飯事であり加齢黄斑変性や緑内障で失明の恐れを抱えている者もいる。内臓疾患とは別に、変形性関節症、脊椎管狭窄症、頸椎症などの骨格の障害で歩行もままならず、杖を頼りによぼよぼ歩いている仲間も多い。