AERAdot.で毎週火曜日に配信していた連載「治さないのに、元気です! すい臓がんステージIV 石先生」の筆者である財政学者・石弘光さんが、8月25日、すい臓がんのため亡くなりました。81歳でした。
石先生に初めてお会いしたのは6月22日(金)、「すい臓がんステージIVの闘病記をAERA dot.で連載しませんか」という打ち合わせでした。
こちらはお顔を存じていますが、石先生は私の顔を知りません。打ち合わせ場所の如水会館(東京・一ツ橋)に20分前に着いたところ、すでにロビーのいすに石先生はお座りになっていました。
「何においても、早め早めに行動するんだ」
石先生はそう、話されました。
驚いたことに、杖をついておられませんでした。ご自身の足でエレベーターホールへ向かい、階段もさっそうと上られていました。医療の取材をしていることもあり、今まで末期がんの患者さんに何人もお会いしてきました。「こんなにも元気な末期がんの方もいらっしゃるんだ」というのが、そのときの印象です。
連載が決まり、原稿のやり取りが開始。その後、「体調がすぐれないので、病院へ入院することになった」と電話を受けました。「すぐに家に帰れるから」と話されており、7月26日の電話では「家に戻ることができた。でも、食欲がないのが困ったよ。今朝食べたものは、ホットケーキにサラダが少し」。食べることがお好きな先生でしたから、電話口からも肩を落とされている様子が感じられました。
8月21日に電話が鳴り「緩和ケアに入ることになった」「もう原稿は書けないな」「今まで好きなように生きてきたから、悔いはない。楽しい人生だった」と話され、「書きとめた原稿がまだあるから、今後のことは家内と相談してください」。それが最期の言葉になりました。
今回は、生前、すい臓がんと戦いながら書き続けたコラムの最後の原稿となります。石先生のご冥福をお祈りします。
* * *
がんが見つかりがん患者になったのは、私が79歳2カ月のときである。
すでに80歳を目前にした典型的な高齢者であった。医師からがんの存在を指摘され、それもすい臓がんの最悪のステージIVbの末期だとわかっても、私も家内もまったく動揺もなく医師の説明を平静に聞くことができた。
がんの体験記の書物には、がんの告知を受けた時に心の動揺、目先が真っ白になった様子、恐怖におののく、絶望感に打ちひしがれるなどが生々しく記されている。
なぜ、このように平然と深刻な事態を夫婦2人とも受け入れられたのか。
■八十数カ国を周り、行きたい国も場所もなし
後からつらつら考えるにいくつかの理由があるが、集約していえることはもはや「働き盛りの現役世代」でないということに尽きる。いまや完全に職場も離れ社会復帰の必要性が全くないという点で、40代や50代の現役世代とがんの受け止め方が大きく違うといえよう。