おそらくは金大中事件当時、たまたま坪山氏が自衛隊情報部門を辞職したばかりだったということで、いわば“神話”がひとり歩きしてしまったということなのだろう。
しかし、こうした“自衛隊暗躍説”が広まってしまった責任の一端は、まぎれもなく当時の防衛庁・自衛隊にもある。
坪山氏が退官まで所属していた陸幕2部内の“特殊チーム”の存在を、当時の防衛庁当局がひた隠しにしたからだ。なにかを秘匿しているということ自体が、メディアや野党の猜疑心を呼び、実態以上のことまで疑惑を広げる結果になったことは否めない。
坪山氏が所属していたその“特殊チーム”は、自衛隊の正規の編成表にも載っていない非公然機関で、正式名称を「陸幕2部情報1班特別勤務班」といった。略して「特勤班」、または通称で「別班」とも呼ばれた。情報1班は広く国内外の情報を集約・分析する部署で、それ自体は秘匿された部署ではない。だが、そこに「別班」なる秘匿チームが存在することは、陸幕内でもほとんど知られていなかった。
坪山氏がその謎の組織「陸幕2部別班」のOBだったということが初めてメディアに書かれたのは、金大中氏拉致事件発生からほぼ2カ月後の73年10月のこと。評論家の藤島宇内氏が自衛隊関係者からの伝聞として週刊誌上で発表したのだ。
■非公然機関の成立の陰に日本の“密約”があった
金大中事件に自衛隊の秘密組織「別班」が関与していたのではないか――左翼政党の議員などが中心となって、そうした疑惑が指摘されたが、前述のように政府・防衛庁は隊内の秘密組織の存在そのものについて否定を貫いた。
別班の存在が秘匿された理由は主に二つあった。ひとつはその任務の秘匿性である。
別班は主にヒューミント(人を介した諜報工作)で情報収集する部隊だった。ときに身分を隠し、情報を持っていると思われるさまざまな人物と接触する。まさに公安警察的な隠密活動が必要なセクションだ。
そしてもうひとつの理由は、この部隊が非公式の日米共同機関、しかもアメリカ側が主導する機関だということだった。つまり、日本側の一存では公表できない特別な存在だったのだ。