しかし、日本政府は当時、そうした疑惑を一切否定した。坪山氏らミリオン資料サービスの関係者たちもマスコミには完全に沈黙を守り、真相はうやむやとなった。
事件の被害者である金大中氏は98年2月に韓国大統領に就任し、KCIAの過去の工作に関する全資料を入手しうる立場となったが、自衛隊の事件への関与を示す新情報が韓国側から明らかにされることはなかった。
前述した「過去事件真実究明委員会」の報告書にも、そうした記述は一切なかった。
じつは09年春、私は75歳になった坪山氏に話を伺う機会があった。冷戦時代の自衛隊情報部門を担ったOBたちに連続インタビューするという軍事専門誌の取材だった。 その際、私はこの事件について、もっとも疑問に思っていた点をぶつけてみた。
「その頃の自衛隊情報部門は、秘密裏に諜報活動をするために民間の事務所を装ったアジトをいくつか持っていたといわれていますが、ミリオン資料サービスもそうしたダミーではなかったのですか?」
仮にその答えが「イエス」なら、左翼政党らが追及してきたように、「陸自の情報部隊がKCIAと連携して動いた」という疑惑がいっきに現実味を帯びてくることになる。
私はじっと坪山氏の言葉を待った。事件発生から36年、坪山氏は当事件のことに関してはずっと沈黙しつづけてきた。しかし、すでにこれだけの年月が過ぎ、もはや真実を隠しておく意味はないのではないか。私は待った。
坪山氏はそのとき、「金大中事件については今も語るつもりはありません」と言いながらも、誤解だけは解いておきたいと思ったのか、慎重に言葉を選びながら、しかし断固たる口調できっぱりと疑惑を否定した。
「自衛隊はまったく関係ありません。金東雲とは自衛官時代からの知り合いですが、仕事は個人的ルートから会社として請けたものです」
調査の内容に関しては、拉致事件が発生するまで、自衛隊時代のかつての上司などにも一切報告していないという。つまり、陸自の情報部門はまったくあずかり知らぬことだったというのだ。