もちろん、冷戦当時は日本でも左翼陣営がそれなりに発言力を持っており、自衛隊が公安的な部隊を運用しているとか、米軍と合同で情報活動をしているとかいったことが露呈すれば、国会などで追及される懸念が強かった。そうしたことも、防衛庁が別班の存在を頑なに秘匿した理由だった。

 だが、こうして国民に隠された“謎の情報機関”の存在は、やがて噂が噂を呼び、“得体の知れない謀略機関”のように語られることとなった。とくに金大中事件の取材を続けた「赤旗」が70年代半ばに別班を「影の軍隊」と呼び、その存在を糾弾しつづけたことで、その虚像はどんどん膨らんでいった。

 それでも「陸幕2部別班」の元隊員や関係者たちは沈黙を守った。そのため、その後長らく、この組織の存在そのものが、いわば“昭和史の謎”として残った。

 しかし、時代は変わり、もはやその存在を明らかにしても、政府が野党に攻撃されるような懸念も、さらに言えば日本国の安全保障にダメージを与える懸念もまず考えられない状況になった。

 ならば、かつて語られた“誤ったイメージ”を払拭し、正しい戦後史を後世の日本国民に残す必要があるのではないか――私のそうした訴えに、何人かの元別班員たちがその重い口を開いてくれた。 そこで語られた自衛隊情報部門の正史は、まさに日米同盟の成り立ちの“空白のピース”を埋めるものだった。なかでも重要なことは、その非公然機関の成立に、知られざる日米の“密約”が存在していたということだった。 その物語は、金大中事件の起きた73年からさらに数十年もさかのぼる“戦後”から始まっていた――。

 昭和20年8月の終戦後まもなくから、旧軍の情報将校はアメリカ進駐軍の情報部門と関係をもった。

 その中心人物は、元参謀本部2部長(情報部長)の有末精三・元中将で、彼はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の情報部「G-2」(参謀2部)のチャールズ・ウィロビー准将と連携した。

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現在の自衛隊となる武装集団の誕生