大センセイ、人も犬もいない地の果てのような公衆便所の中で、風に煽られ舞い狂うちり紙に翻弄されるうち、突如、寺山修司のことを思い出したんである。
寺山修司は劇作家であり歌人であったと同時に、公衆便所の落書きコレクターとしても知られていた。寺山が公衆便所の落書きの中に追い求めたのは、表現の鮮烈さであった。
ウロ覚えで恐縮だが、寺山が極北の一行としたのはたしか、
母ちゃん 殺っちまった
であった。
カモメのごとくちり紙が乱舞する断崖絶壁の公衆便所は、まこと、この一行のためにあるような、凄絶な空間であった。
では、大センセイの究極の一行は何だろうかと考えていたら、渋谷にあった小さな編集プロダクションから仕事をもらっていた時代のことを思い出した。
その編集プロダクションは、主に出版社の下請けをやっていた。下請け仕事は単価が安い。大センセイ、そこそこ仕事をやっていた積もりだが、なんせ安い仕事ばっかりだったから、いつもお金がなかった。だから、世の中を恨む気持ちがとても強かったのである。
ある日、いつものように件の編集プロダクションが入居している雑居ビルの窒息しそうに狭いエレベーターに乗り込んで、行き先階のボタンを押そうとすると、金属製のパネルに針で引っ掻いたような落書きがしてあった。
ばかばっか
本当だよな。
大センセイ、この一行に涙が出る思いで頷いたのだった。
※週刊朝日 2018年8月3日号