私の店には一切、スタイルブック(見本帖)を置かなかったんです。大阪には繊維問屋もたくさんあって、輸入のいい生地がふんだんに手に入りました。美しい布に囲まれてお客さま一人一人と向き合ってるとね、その人を輝かせるためのデザインがどんどん、湧いてくるんです。それをその場で、すぐデザイン画にする。

 お客さまは目を丸くしてね。こんな服、見たことない。着てみたい。作ってちょうだい!って。決して安くはない、1着何十万円もするオートクチュールなのに、お客さまが絶えませんでしたね。その当時高校生だったお得意さまなんて、いまだにうちのお客さまですよ。

――1978年、ローマコレクションで海外デビュー。82年からはパリコレにも参戦。着物のように、一枚の布をなるべく切らず、膨らませたりしわを寄せたりして立体を造形する手法は当時のヨーロッパファッション界に驚きをもって迎えられ、ジャポネスクブームの先駆けとなる。

 日本人には独特の歴史と感性と技術がある。それを思う存分、コレクションにぶつけました。現地で、スタンディングオベーションでしたよ。

 でも、それをそのまま日本に持ち帰ってもダメなんです。もっとわかりやすく、着やすい服に解釈しなおさなきゃならなかった。

 そういう大きな挑戦をするためには、企業とも手を組んで、大きな体制をつくる必要もあった。商売のセンスはお母ちゃんゆずりだと思いますが、企業が相手となると一筋縄ではいかなくて。企業を動かすにはビジネスとして理屈が通っていなければならない。誰の顔を立てて、誰に話を通してっていう政治的な知恵も必要だし、組織を説得できるだけの作品も作らねばならない。

 自分のやりたいことと、ビジネスの論理。その葛藤たるや! それでもうまい具合に泳いできて今があると思っています。これで、もう一本、ドラマができますよ(笑)。

――キャリア60年。昨年、これまでのコレクションアーカイブを一冊の本にまとめて出版した。

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