なんで頑張れたかって言うと、デザイン画の授業があったから。それで気が付いた。デザインの仕事があるはずだ!って。それで、東京の文化服装学院に入ったのです。
そうねえ。もし、あのとき美大に入って美術の道へ進んでいたら……。草間彌生さんばりの画家になれていたかしら。でもね、絵は私にとって、とても大事なもの。絵とファッションは人生の両輪なんです。
――上京はしたものの、急激な環境の変化によって胃潰瘍で倒れてしまった。1年ほど休学し、その間、スタイル画の大家、原雅夫氏に師事し、絵を描いて過ごした。この経験が、ファッションデザイナーとしての表現力を養うことになった。
墨を使って描くんです。1日30枚。毎日ですよ。筆と墨と水と紙だけで描き出す、そのテクニックを徹底的に体にたたき込みました。
筆の生み出す線や面。その表現だけで布のテクスチャー(質感)までも感じさせられるだけの表現力を徹底的に学んだんですね。ふんわりした布なのか、ゴワッとした布なのか。重さ、軽さ、硬さ、柔らかさ。そうした質感を表現するには、自分にとっては筆と墨が最適だった。
和の美しさをファッションに投影して、日本人にしか作れない服を作りたいと考えたとき、墨と筆で描いた絵から多くのインスピレーションを受けました。実際、自身が墨で描いた作品(墨象)をテキスタイルにプリントして作品にもしています。
絵を描けるかどうかは、ファッションデザイナーにとってどんなに大切なことか。それまで漠然と「ファッション」、「絵描き」と別々に考えていたの。でも、ここで学んだことが自分の人生で一つになったんです。
――卒業後は大阪・心斎橋にオートクチュール(高級注文服)の店を開店。そこでは、ヒロコさんの絵の表現力がいかんなく発揮された。まさに、ファッションと絵は人生の両輪。絵を描くという「もう一つの自分史」は、リアルな人生と不可分だった。