ところが、いくら検査を受けても正式な病名がつかない。検査の度に異なる「疑い」を告げられて、ついにはリウマチや結核の可能性まで指摘された。
そして、忘れもしない二〇一三年の一一月、担当医から突然、こう告げられたのだ。
「うちでは治療できません」
理由は末期の血液がんだから、であった。
青天の霹靂とは、このことを言うのだろう。細菌を殺す抗生剤の点滴を何度も繰り返し受けたあげくに、末期がんでしたとは!
しかもその総合病院は、転院先の紹介もしてくれなかった。大センセイ、あの担当医の不誠実な態度と油べったりのオールバックを、生涯忘れないだろう。
一二月、なんとか血液がんの治療ができる病院を探して転院すると、またしても検査、検査である。そして、主治医は小さな声でこう言った。
「ステージ4ですね。まあ、半年ぐらいですかね」