それでも親父は、余命半年と宣告されてから二年半生きた。しかし、大センセイ、それを単純によかったとは思えないのだ。
亡くなる直前の親父の腕は、点滴のやりすぎで表皮が破れリンパ液が漏れ出る状態だった。それでも主治医は、亡くなる当日、熱が高いからといって抗生剤の点滴を看護師に命じていた。そうしなければ、家族から訴えられるとでも思っていたのだろうか。
誰もが「引導」を渡す役割を背負わないまま、都合七種にもおよぶ抗がん剤の投与を受けて、親父はボロボロになって死んでいった。
臨終の後主治医は、
「二年半というのは、まあいい経過でした」
と言った。
※週刊朝日 2018年6月22日号