そこから先はもう、ベルトコンベアーに乗っているのと同じであった。
なんでも、抗がん剤の投与の方法は標準化されているそうで、まずは最も効果が期待できる抗がん剤を合計七回、二週間のインターバルで投与された。
効果が十分でなかったということで、次に放射線治療を受けた。それでも十分でなかったからと第二の抗がん剤の点滴、第三の抗がん剤、第四の抗がん剤……。
投与の回数が増えるに連れて、学生時代、柔道の選手として鳴らした親父の頑丈な体は、見る影もなく痩せていった。
ある日見舞いに行くと、かすれた声でこう言った。
「おい、抗がん剤ってのは、がん細胞を殺すかもしれないけど、患者も殺すな」
入院生活が長引いて足腰が弱り、ついに自力で立てなくなったときは、子供のような声を出した。
「歩けなくなっちゃった」