ノンフィクション作家・山田清機氏。週刊朝日連載「大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!」。今回は「イブの牛丼」。

*  *  *
 クリスマスというものは、とても暴力的な行事だと思う。

 なんといっても、一カ月も前から商店街にクリスマスソングしか流れなくなるのがひどい。大センセイひねくれ者であるから、

「たまには演歌とかかけてくれよ」

 と言いたくなる。

 しかし、演歌とクリスマスはどうも相性が悪いようだ。西洋のお祭りだから仕方ないかもしれないが、「クリスマス音頭」なんて聞いたことないし……。

 と思って、一応調べてみたら、なんと、あった、ありました。しかも、あの「冬のリヴィエラ」を作曲した大滝詠一さんが、「クリスマス音頭」なる曲をすでに七〇年代に作っているではないか。

 聴いてみると、相当に日本のクリスマスを皮肉った内容である。やはり心ある人は、クリスマスの暴力性に早くから気づいていたということであろう。

 大センセイが、クリスマスの暴力性を身に沁みて感じたのは、ひとりぼっちでクリスマスイブを迎えた日のことであった。

 
 その日は、訳あって大変にヤサグレた気分で、「地域の平均所得と玄関にクリスマスリースがかけてある頻度を比較したら面白いかもな。でも、こういう発想しちゃう自分って嫌だな」などとつぶやきながら、イブの街を徘徊していたのだった。

 いい加減歩き疲れ、体も冷えて、お腹も空いて、何か温かいものでも食べたいと思ったが、街はどこもかしこもクリスマス。どの店もクリスマス。カップルが見つめ合ったり、プレゼントを交換し合ったりしているクリスマスである。

 中年のヤサグレ男がひとりで心安らかに食事をできる環境といえば、そうだ、牛丼屋だ。さすがに牛丼屋でプレゼント交換している奴はいないだろう。

 そう踏んで、駅前の牛丼屋を目指したのだったが、しかし、そこで目にしたのは、あまりにも横暴なクリスマスの姿であった。

 すでに夜の九時を回っていたと思うが、牛丼屋の隣にある洋菓子チェーン店でケーキを買う人の列が長く伸びて、牛丼屋の入り口を完全に塞いでいたのである。

 許さん!

 大センセイ、ほとんど桃太郎侍の気分で、洋菓子屋に並ぶ人の列に立ち向かって行った。

 ええい、どけどけどけ!

 
 さしものクリスマスも、あまりの剣幕に怖気づいたのか、入り口を塞いでいた行列に小さな亀裂が入った。だが、大センセイの耳には、クリスマスたちがこうささやくのが、たしかに聞こえてきたのである。

(やだ、この人、イブに牛丼食べるのかしら)

(きっと、ひとりぼっちなんだよ)

(なんか怒ってるみたい)

(可哀想に。不幸な人なんだね。ひとり者に幸あれ)

 大きなお世話じゃ!

 思い切りドアを開けると、コの字型のカウンターに座っていた客が一斉にこちらを向いた。全員男だ。その顔を見た瞬間、胸にこみ上げてくるものがあった。

 同志よ!

 男たちの目は、たしかにそう語っていた。日頃殺伐とした牛丼屋の店内に、この日ばかりは、温かい思い遣りが溢れていた。

「ナミ一丁、ギョク一丁!」

 大センセイ、あの日のことは生涯忘れない。牛丼屋は唯一、クリスマスの圧政から逃れることのできるオアシスなのだ。

 努々(ゆめゆめ)、ローソクの立ったクリスマス丼なんてものを発売しないことを、祈るばかりである。

週刊朝日 2017年12月22日号

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