武将を祀る神社は、武将の勝運が宿る強力なパワースポット? (※写真はイメージ)
武将を祀る神社は、武将の勝運が宿る強力なパワースポット? (※写真はイメージ)

 数々の戦で勝利を収めてきた武将たちは、神仏の力をとり込み、真の天下人たることを知らしめよう、という戦略で、多くの神社を建立した。戦国時代、天下取りの先頭に躍り出た織田信長は、その代表といえる。

 桶狭間の戦いで神の力を実感した信長は、ただ神仏に祈るだけでなく、自らが神となって天下を取ることを決意する。

 天正4(1576)年、信長は琵琶湖の東岸に安土城を建造する。ここに臨済宗のそう見(けん)寺も同時に建立したのだ。生きながらに神となった信長であったが、本能寺で討たれた。

 信長の跡を継いだ豊臣秀吉は、京都の船岡山を信長の廟所と定めた。時代は下って明治2(1869)年に、その船岡山に信長の功績を顕彰するため明治天皇により建勲神社が創建され、信長を主祭神として祀るようになった。

 秀吉の場合は死後、朝廷から「豊国大明神」の神号が与えられ、京都の豊国神社に祀られた。しかし、徳川の世になると、豊国大明神の神号は剥奪され廃絶となるのだが、これも明治天皇の勅命により再興を果たすことになる。

 武将として絶対神のような存在が家康であろう。

「家康は死後、日光東照宮に祀られました。日光東照宮は創建当時は日光東照社でしたが、『社』が『宮』に変わり、格式が上がりました。これにより徳川家を守る神社から日本全土を守る神社へ昇格し、文字どおり神になったといえるでしょうね」(「真田丸」の風俗考証を担当した立正大学教授の佐多芳彦さん)

 建勲神社、豊国神社、日光東照宮は武将ビッグ3を祀る神社であるが、その他にも戦国の世に名を馳せた武将を神とする神社は全国にある。

 甲府の武田神社は武田信玄の居館があった跡にあり、勝運のご利益を授かろうと多くの参拝者が訪れている。米沢には上杉謙信を祀る上杉神社、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の井伊家の初代彦根藩主井伊直政、2代藩主直孝を祀るのが井伊神社だ。軍師として秀吉を支えた黒田官兵衛は福岡の光雲神社、真田信繁(幸村)を祀るのが山家神社の隣に鎮座する真田神社である。

「これら武将を祀る神社は、武将の勝運が宿る強力なパワースポットであることは間違いないでしょうね」(同)(本誌・鮎川哲也)

週刊朝日  2017年1月20日号