春夏の甲子園に37回出場し、優勝7回、準優勝4回、通算96勝。1956年創部の名門PL学園硬式野球部は輝かしい記録を刻んできた。今夏限りで休部するチームは、7月15日の大阪大会で敗れ、「最強」の歴史に幕を閉じる。
“逆転のPL”
PL学園の試合を見守った花園球場の観客は、そのフレーズを思い出したかもしれない。
相手は5年前の夏の甲子園に出場した東大阪大柏原。終盤までもつれる好ゲームを展開し、通路にまであふれた観客から拍手と大歓声が起こった。フェンスを握りしめて応援していた男性は「これこそPLですよ!鳥肌がたちました」。
七回に逆転の左越え本塁打を放ったエース藤村哲平君はこう言った。
「最後まであきらめない精神をPLで学びました」
彼らの姿はOBらの心にも響いたに違いない。
2000年に甲子園出場を果たした東北楽天ゴールデンイーグルスの今江敏晃選手。「母校の後輩たちのことがずっと気になっていた」といい、「PL時代に学んだのはチームワークの大切さや、目上の方への心配りで、人間的にも成長させてもらった」という。
「男気あふれる清水(孝悦)コーチから『自分のケツは自分で拭かんかいっ』と活を入れられたことが、一番印象に残っていますね」
PL学園が甲子園で最後に優勝したのは1987年。その年、史上4校目の春夏連覇を成し遂げたチームの主将が元中日ドラゴンズの立浪和義氏だ。
「桑田(真澄)さんや清原(和博)さんが活躍している姿を見て、強いチームに憧れました」
当時、大商大堺への進学が決まりかけていたが、断ってPL学園に入学した。
思い出の試合は、甲子園ではなく、高校2年の秋の近畿大会だという。
「準々決勝で大商大堺と対戦したんです。勝ったほうが春の選抜に出場できるという試合でしたが、五回表まで1-5で負けてました。その年、同級生の南(雄介)が亡くなり、ベンチに南の写真を置いたんです。みんなで一致団結しようと、逆転して勝ちにつなげました。あの試合を乗り越えたから、春夏連覇を達成できたと思います」