嶋とともに大竹海兵団に入営した古角氏は生還、故郷に戻ると新宮高校で昭和23(48)年から監督として野球を教えた。「第二の嶋を育成するんだ」と意気込んで、ほとんどが野球初心者だったチームを、甲子園の常連校にまで成長させた。
嶋があのまま野球を続けていたら、どれほどの伝説を打ち立てたろう。けれど彼自身の将来の夢は別のところにあったようだ。朝日新聞の記者になりたい──親しい知人に生前そう打ち明けていたという。
周囲に流されず、偏見を廃し、常に自分の頭で考え、正確に物事を見ようとしていたその姿勢。中学時代に野球で培われたであろう胆力。秀でた文章力──新聞記者として輝くに十分な資質を、彼は既に持っていたのではないだろうか。
松本氏の取材を終えて、駅まで戻るタクシーで、初老の運転手さんにふと訊いた。この和歌山に、昔、嶋清一という甲子園の大投手がいたのをご存じですか?
「海草中の嶋ですか? いやぁ聞いたことありませんわ。和歌山いうたら箕島ですから」
確かに。PL学園の桑田・清原と同年代の筆者も、実は「和歌山=箕島」なのだ。
「あ、でもね。私が子供の頃の甲子園で、和歌山からすごい投手が出たんですわ。前岡です。新宮高校の前岡勤也。甲子園で大活躍してね、そのあと大阪タイガースに入団した名選手です」
新宮高校? あの古角氏が指導した学校ではないか。
「お客さんに言うても知らんかもしれんけど、ドロップっちゅう球種が昔ありましてね、前岡はこれをうまいこと放ったんですわ」
胸が熱くなった。古角氏は本当に嶋に匹敵する大投手を育てあげ、球都・和歌山の野球を全国に知らしめたのだ。
木内昇(きうち・のぼり)
直木賞作家。1967年生まれ。野球通で、昨夏は甲子園観戦記を本誌に連載。代表作に『漂砂のうたう』『櫛挽道守』
※週刊朝日 2015年8月7日号