筆者と一緒にトレーニングに励む佐々木さん(右)(撮影/岡田晃奈)
筆者と一緒にトレーニングに励む佐々木さん(右)(撮影/岡田晃奈)

 認知症予備軍である軽度認知障害(MCI)の早期治療を1年半続けていることをレポートしている、山本朋史記者。デイケア仲間との会話で勇気づけられた経験があるという。

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 オリーブクリニックお茶の水でトレーニングをした後に帰路が同方向のデイケア仲間の佐々木慶太郎さんと北千住の駅ビルで食事をした。ぼくと佐々木さん、それに知人であるNHK福祉番組部のディレクター2人が同席した。

 佐々木さんは都庁勤務が長かった。主に主税局。地方税の取り立てをやる部署である。

 佐々木さんは55歳まで都庁で働いたが、認知症になった実母の介護のために早期退職した。北区や葛飾区などで税務指導員として不定期でいいから働いてほしいと言われ、59歳まで勤務したという。

 佐々木さんの母は最初は茨城県取手市の病院でアルツハイマー型認知症と診断された。アリセプトを処方されたが、服用すると介護士を怒鳴ったり、佐々木さんの妻に暴言をはき乱暴したりする。やがて手がつけられなくなったという。

 他の専門医にも相談したが、母の症状は悪くなるばかり。佐々木さんは退職後に母親を病院に連れていくために教習所に通い自動車免許を取得。59歳だった。

 人づてに筑波大学附属病院の朝田医師が認知症治療の第一人者だと聞いた。すがる思いで取手市の自宅から筑波大学まで車を走らせた。母親を朝田医師に診断してもらうと、

「佐々木さんのお母さんはアルツハイマー型認知症ではなくレビー小体型認知症の疑いが強い。アリセプトの使用はお母さんの場合は逆効果です。違う薬に変えましょう。お母さんを連れてくるときには必ず症状の変化を報告してください」

 と言われた。わかりやすく丁寧な説明だった。佐々木さんは、母親の異常が薬によるものだったことを知った。新たな処方薬で落ち着いたという。しかし、すでにその症状は進行しすぎていた。仕事をしている妻と大学に通っていた子どもを別の場所に“緊急避難”させ、佐々木さんは母親と二人で生活を続けた。

 母親を介護する佐々木さん自身も体調を崩していった。朝田医師のもとに母親を連れていくときも症状の進行具合を説明できないほどになる。事前にメモを書くなどして携行した。物忘れも激しくなった。電車に乗れば、逆方向の電車に乗ったり、降りる駅を間違えたりした。佐々木さん自身に認知障害が起きていたのだ。「認・認介護」とでも言うべきだろうか。

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