赤井:両親は「あきらめてくれ」と言われてたみたいですね。
林:後遺症が残る可能性も……。
赤井:もともとあんま賢うないんで、後遺症が残ってもわかりにくいと(笑)。その試合のせいでもうボクシングができなくなって、最悪やな、ピンチやなと思ってたんです。でも、いま考えてみると、あの事故があったからこそ、「どついたるねん」という映画ができて、こうやって俳優をやってられるんですね。
林:なるほど。
赤井:だから若い学生たちには、「いま、おまえたちがピンチやとか最悪やと思うとることは、実は年月がたって俯瞰してみると、また違うかもしれんぞ。それを変えていくのもおまえたちやぞ」と伝えたりしてるんです。
林:でも、事故の直後はショックだったでしょう。
赤井:3月31日に退院したんですが、それから酒ばっかり飲んでました。秋になって大学から「コーチに来てくれ」と声をかけていただいたときはありがたかったですね。選手の気持ちも指導者の気持ちもわかる立場にいましたんで、道場で学生たちと汗かいてる1時間、2時間はほんと充実してました。でも、あとの22時間はやることもなく……。
林:そこから「どついたるねん」まで、どのぐらいの時間があったんですか。
赤井:出版社に声をかけていただいて、87年に『どついたるねん』という自伝的な本を出したんです。子供のときの話やら、ボクシングに出会ってケガをして、こんなんなったということを書いたら、それをご覧になった阪本順治監督が一人でうちに来てくださって、「俺はいまから監督デビューしようと思うんだが、その作品を赤井君の『どついたるねん』にしたい。赤井君に自分自身の役をやってもらって、それを撮りたい」と言うていただいて。プロデューサーも制作も何も決まってない段階から始まって、89年に映画が公開されました。
※週刊朝日 2015年3月13日号より抜粋

