ジェイクは、サインをした新著をプレゼントしてくれた。
ジェイクは、サインをした新著をプレゼントしてくれた。

 ニューヨーク・タイムズの書評をあとで確認するとこういうことだった。ハーバード・ビジネス・レビューの編集者もつとめた評者は、書評の冒頭で、こう書いている(抄訳)。

 ──本にはこんな一節がある。<フリードマンは虚無的であり、「すべての悪しきものは政府からくる」という反民主主義の市場原理主義の考えを持っていた>。このフリードマンの引用をそこに振られている注で見てみると、フリードマンの『資本主義と自由』の137ページからとったとある。その本のコピーを私がもっていたので、確認してみた。そもそも137ページには、まったく関係のない話題がそこには展開されていた。それどころか、フリードマンの『資本主義と自由』全体を見ても、「すべての悪しきものは政府からやってくる」なんて言葉は出てこない──。

 要は書評の冒頭で、この本はミルトン・フリードマンの引用を捏造(ねつぞう)している、と書いたわけだ。そして書評全体も、この本はハイエクやフリードマンの評価が、なっていない、読むに値しない本だという破壊的なものだった。

 実際このニューヨーク・タイムズの書評が出ると、親から心配して電話がかかってくるのから始まり、講演やポッドキャストの出演がキャンセルされ、そして本人もコロナに感染してしまうという散々な目にあった。

 ジェイクは朝食の場では、「本当はもうひとつソースが書いてあったんだ。最後の編集の過程で、本の最後に移すときに、ペーストし損なったんだ」と主張していた。

 が、このコラムを書くにあたって、そのもうひとつのソースを教えてほしい、とメールをすると、しばらくたってこんな返事が返ってきた。

「そのもうひとつのソースを虚心坦懐に見てみても、当該のフリードマンの言葉はなかった。フリードマンの言葉として鍵カッコにくくるべきではなかった」

 たしかにフリードマンは、「なぜ政府が問題なのか」(Why Government Is the Problem)というエッセイを書いているくらいだから、「すべての悪しきものは政府から来るとフリードマンが考えていた」と、鍵カッコでくくらず地の文で書けば間違いではなかっただろう。

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