5万部を突破した単行本『ペコロスの母の玉手箱』。作者のペコロスこと岡野雄一さん(64)のトーク&サイン会が11月3日、東京・吉祥寺の啓文堂書店吉祥寺店で開かれた。軽妙な逸話に笑いつつも、自らの境遇と重ねて涙する参加者も続出。当日の様子を紹介する。
会場には高齢男女だけでなく、40~60代の夫婦や若い母娘の姿も。岡野さんは、父母の人となりから話し始めた。「父は酒乱で家の中で暴れ、外では神様みたいと言われた。子ども心に、真面目な母が内助の功で父を支えてると思った」
小誌連載中の「ペコロスの母の玉手箱」は、主に認知症の母みつえさんと他界した父の思いや思い出を、岡野さん視点で描く。くすっと笑えて、ちょっぴり切ない漫画だ。
岡野さんは20歳で上京、就職。離婚して40歳で息子を連れて長崎に戻った。父が他界した14年前から、母の様子が変化する。最初の気づきはみそ汁。まずくなった。ガスの火がつけっ放しのことも。失敗が増え、料理ができなくなっていった。
母を一人にできないため、三食は家で一緒に食べた。すると母は、働いていないのに金があるのはおかしい、自分から盗んだとなじった。隣家の鉢植えを自分のものと思い込み、自宅に並べたことも。詐欺商法にも引っかかった。だんだん支離滅裂になってきた。
子どものころ、シュミーズ姿で鏡に向かい化粧をしていた母の背中をよく覚えている。あんなにきれい好きでちゃんとしていた母が、何もしなくなり、どんどん汚れていく。あるとき、たんすの一番下の引き出しを開けたら、汚れたパンツがいっぱい詰まっていた。
母が脳梗塞(こうそく)で入院して初めて、ケアマネジャーの存在を知り、いろいろ学んだ。退院時、在宅は無理とグループホームを選んだ。
「僕ら団塊の世代は真面目に親を看(み)るもの、と植え付けられている。在宅ではなく施設に入れたことに後ろめたさを感じた」
9年入所し、今夏亡くなった。最後は胃ろうで寝たきり状態に。「施設に預けて正解だった。最後の半年くらいは、死んでいく瞬間をゆっくりゆっくり超スローモーションで見てる感じ。何でも見ようとアンテナを立てたら、それまで感じなかった“気配”を感じるようになった。他界していた父やおば、母の昔の家。漫画家の妄想かもしれないけれど、すごく豊かな時間。手を伸ばしたところにその人のぬくもりがある距離感が一番大事。実質的・精神的な僕の距離感は車で15~20分のこの施設。絶妙な距離感だった」
世田谷区の男性(46)は妻と一緒に聴きに来た。長崎の実家から6年前に呼び寄せた母(86)は認知症が進み、3年前から施設に。思い起こせば、荷造りできないなど症状が出ていたものの、当初は知識もなく病気とわからなかった。
胃ろうを医師に提案されたところだ。「ペコロスさんは、まるで先輩のよう。漫画を読むと、この先こうなるんだ、とわかる」
母と義母を看取り、89歳の義父と同居する女性(58)は、連載を毎週楽しみにしている。みつえさんが亡くなったときは「すごいショックだった」。
グループホームに8年いた母(83)を今夏亡くした女性(54)も、みつえさんを近しく感じている。「岡野さんと同時期に母を亡くした。なんて縁だろう。母はどんな人生を歩んだのか。もっともっと、母にいろいろ聞いておけばよかった」と涙ながらに話した。
※週刊朝日 2014年11月21日号