高校球児たちの熱い夏が8日、甲子園で開幕。元球児で、ことしの週刊朝日増刊号「甲子園2013」から花を通して高校野球を表現する企画を始めたフラワーアーティストの東信さん(37)。その作品に、高校野球への思いを込めたエッセーを寄せた作家の重松清さん(50)。そのふたりが「甲子園」を語り尽くした。
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東:僕は、高校野球が子どものときから大好きで、夏になると毎年ウズウズしていました。花屋は7月末から8月までは結構お休みが多いので、ほぼ全試合を見ていますね(笑い)。
重松:子どものころは、野球少年だったんですか?
東:そうなんですよ。私立の東海大系列で、高校も実は最初は野球で入りました。男兄弟3人だったので、子どものころから、兄弟みんな野球をやっていましたね。高校に入って、音楽を始めたり、彼女ができたりとかで結局、僕は音楽のほうにいっちゃったんですけど、もともとは「純粋ツチっ子」でした。
重松:東さんの高校生時代は何年ごろですか?
東:今から20年近く前の1994年ですね。
重松:その世代の甲子園のスターは誰ですか?
東:僕らの世代はあまりいないんですが、二つ上には松井秀喜さんとか大スターがいましたね。
重松:ちょうど松井さんと松坂さんの狭間(はざま)の世代ですね。
東:ちょうど僕らが野球をしていたころは、まだ「水飲むな」で、3年生で引退してから「水飲め」っていう教育に変わった、最後の泥臭い時代でしたね。
重松:熱中症で倒れる「水飲むな世代」ですね(笑い)。僕が野球をするようになったのが、小学2年生の1970年ごろ。甲子園の名勝負と言われていた太田幸司さんの三沢高校と松山商業の延長18回引き分け再試合は、その前の年だから、ぎりぎり間に合ってないんだけど、そこからあとは、江川卓さんや原辰徳さんがいて、さわやかイレブンの池田高校があって、東邦高校のバンビ坂本さんがいて……という黄金期でした。甲子園って必ず、「もうそろそろ終わりだよね」っていうころになると、スターが出てくる。
東:確かに。不思議です。
重松:松坂さんのあとは、ハンカチ王子と呼ばれた斎藤佑樹さんや、マー君こと田中将大さんとか、去年は桐光の松井選手の奪三振が話題になったりとか、周期的にスターが出てくる。甲子園の底力、ありますよね。ただ、東さんは今回、週刊朝日の甲子園別冊で広告まで出した。その思い入れの深さの理由はなんだったんですか?
東:もう本当に小学生ぐらいから、すごく高校野球に魅せられていて。自分も何かしらの形で参加したり、応援の気持ちをもう少しダイレクトに球児に伝えるべきではないのかと思ったことがきっかけです。
重松:自分も甲子園にかかわりたかった?
東:そのとおりです。それに、実は小学生のころから週刊朝日の甲子園別冊を毎年買っているんですよ。重松さんが広告に寄せてくださったエッセーのタイトルにあるとおりの「ツチっ子」で。ほんと変な話ですけど、花屋をやりながら高校野球の監督をできないかなとか思いますね(笑い)。
※週刊朝日 2013年8月16・23日号