「八朔祭り」の一番の祈願は、五穀豊穣つまり豊かな農作物の収穫を願うものである。日本でこの季節、作物の取り入れを一番脅かすものは今も昔も変わらず台風、そして害虫だ。台風と害虫除け祈願の祭りが、平和な日本へ広がっていったことは当然の成り行きかもしれない。
600年を超える歴史を持つ大阪・開口(あぐち)神社の八朔祭は、毎年9月初旬(2019年は9/6~13)に開催、「ふとん太鼓」の宮出し宮入で始まり、田実神事で幕を閉じる。
また、毎年9月1日に行われる山梨県都留市の「生出(おいで)神社」の例大祭である八朔祭では、大名行列や屋台巡行が繰り広げられ、豪華絢爛さと江戸時代の装いで例年多くの観光客を集めている。
●五穀豊穣はやがて子孫繁栄へ
すでに今年は終わってしまったが毎年8月25日に山車が町内を練り歩く茨城県大洗町の大洗磯前神社・八朔祭りのほか、9月1日には島根県・柿本神社、石川県・服部神社、10月1日まで下る佐賀県・海童神社など、祭る祭神に関係なく八朔祭りは開催されていて、その土地の豊かな獅子舞や奉納舞など民俗芸能が保存されている。
やがて祭りは、男性のシンボルをかたどったご神体を持ったてんぐが子孫繁栄を願う福井県・日吉神社、生まれて初めての八朔を迎える子どもを祝う「八朔の節句」行事が残る福岡県芦屋町のように、子孫繁栄をも含むものへと変化していく。
さて、ハッサクと聞けば今では冬から春にかけて出回るミカンを思い浮かべるだろう。余談だがこのハッサク、一般人が食べるようになったのは戦後になったころかららしい。江戸時代後期、広島県因島・浄土寺のお坊さまがハッサク(この時は名無し)を発見、売り出すために苦労をしたようだ。因島にはほかにも正体不明の柑橘類がいくつも育っていたらしく、これは遠く南方まで出かけていた村上水軍が、苗を持ち帰ったり食べたタネを捨てたりしたものではないかと考えられている。
この名無しのミカンにハッサクの名がついたのが明治時代で、理由はハッサクを食べ始めていたのが8月1日頃だったから。浄土寺にはハッサク発祥の地の記念碑と原木が残り、因島にはハッサクロードがある。
伝統も食欲も満たす「八朔」、今の暦の上ではすぎてしまったが、旧暦上ではこれからが祈願の本番である。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)