



7月に入ると、夏休みが近づいてくるワクワク感を懐かしく思い出します。そして、もうひとつ思い出すのがブルートレインです。家族旅行や帰省の際にブルートレインを利用した方や、カメラを持って早朝の駅に撮影に行かれた方も多いことでしょう。今回はブルートレインの発着駅で見られた「特徴」を振り返ってみました。
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■東京駅名物・機回し
1980年代前半、ブルトレブームに沸く東京駅では「機回し」を見るためにファンが殺到していました。機回しとは、機関車と客車の連結を解除して別の線路を通り、編成の反対側に連結しなおす作業のことを言います。
この当時、急行「銀河」を含めると10本の列車が同じ作業を経て西に向けて出発しており、まさに夕方から夜にかけての名物といえる光景でした。まず16時30分発の長崎・佐世保行き「さくら」がEF65形1000番代に牽引されて品川客車区から東京駅に上ってきて、16時10分に10番線ホームに停車します。上野方向を向いて入ってきた機関車は牽引を解かれ、北方向を向いており、このままでは逆向きに進むことになってしまいます。そこで、12番線との間にある回送線を使用して機関車を下関向きに付け替え、発車を待ちます。ヘッドマークは営業列車の進行方向のみに掲げられていました。
1985年以降は牽引機がEF66形に交代し、華やかさが増しましたが、その後は夜行列車そのものに斜陽期が訪れて1本、また1本と東京駅発の列車が廃止され、その名物も目立たないものになっていきました。
機回しが行われた最後の定期列車は2009年3月13日夕方発の「富士・はやぶさ」。地上波の各テレビ局のニュース番組が、入線から発車までの様子を随所にはさみながら報道していました。
■機関車に引かれずにやってくる客車!
上野駅のブルートレインの入線風景は、東京駅とは全く違うものでした。長い客車の編成が、機関車に引かれることなく進んでくるではありませんか! 中央の貫通扉を開いているのでテールマークは見えず、代わりに乗務員さんが立っている姿が見えたりします。
実はこの列車たち、上野駅から5kmほどのところにある尾久客車区(現・尾久車両センター)から、機関車に押されて11分ほどかけてやってきたのです。この回送方法を「推進運転」といい、先頭になる客車と機関士は無線でやりとりをし、安全のため非常ブレーキを操作できるようになっていました。
この作業も上野駅の名物で、数多く見ることができました。1982年の上越新幹線開業前には定期寝台特急だけで最大8往復があり、その他にも臨時列車や急行列車などが数多く推進運転を実施していたのです。そして時が流れ、最後のブルートレインとなった「北斗星」もまた推進運転で入線する列車でした。現在でも、ツアー列車として運転されている「カシオペア」で不定期ながら推進運転を見ることができます。