「…え、どういうこと?」
1999年から大阪でお笑いを中心に取材をしているが、その中でもトップクラスの回数、話を聞いてきたのが漫才コンビ「横山たかし・ひろし」の横山たかしさんだった。
1日に多臓器不全で逝去していたことが2日になって報じられたが、所属の松竹芸能から発表があるまで、恥ずかしながら、そこまで病状が進んでいるとは全く知らなかった。訃報に接し、まず出てきたのが冒頭の言葉だった。
これはこちらだけの思いだけではなく、訃報が入ってから、旧知の社員さんやたかしさんとも交流が深い後輩芸人に話を聞いたが皆一様に「ここまでなっているとは知らなかった」と口をそろえた。
普段から、所属事務所・松竹芸能のマネージャーさんや芸人さんとは公私ともに交流があるが、周囲から聞いているたかしさんの近況はおおむね「車いすの生活で、本調子ではないけれど、何とか安定して舞台に出られるように体調を整えているところ」というものだった。
なぜ、ここまで周囲が本当の病状を知らなかったのか。訃報を受けて、改めて取材を進めてみると、その一番の要因はたかしさんの美学だった。
病状を間近で見てきた数少ない一人である担当マネージャーに尋ねると「芸人たるもの、弱った姿は見せるものではない」というたかしさんの強い意志があり、相方の横山ひろしらごく一部の人間以外はリアルな状況を知らないままだったという。
もともと糖尿病は患っていたが、目に見えて体調が思わしくなくなってきたのは2014年に脊柱管狭窄症の手術を受け、車いす主体の生活になってから。
そこから免疫力が全体的に低下して、内科的な疾患が複数出てくるような状況になっていった。体調には波があり、元気な時には車いすで舞台に上がっていたが、調子が下がってくると休養して体調を整える。ここ数年はそんなサイクルになっていた。
昨年12月下旬に大阪市内の劇場に出演したのが最後の舞台になったが、当初は年明けにも仕事が入っていた。しかし、また体調が下り坂に入ってきたので、休養をとり「寒い時期やから、また暖かくなったら治ってくるやろ」といつものリズムを期待していたが、なかなか体調が戻らない。