年に数回受けていたという定期検診のため、4月に病院に行くと「すぐに入院してください」と言われ、結果、そのまま最期を迎えてしまった。
4月からの入院生活では、かなり体力の減退もあったため見舞客もほぼ断り、元気な時のイメージを壊さないことを強く希望した。通夜・葬儀にも、芸人で参列したのは相方の横山ひろしと若手時代からの盟友、漫才コンビ「三吾・美ユル」の三吾だけだったという。
最期までとことん美学を貫いたたかしさんだったが、芸人仲間に尋ねても「芸人とはかくあるべき」という男前なエピソードがこれでもかと出てくる。
その一つが正月に配るお年玉だ。楽屋で顔を合わせた芸人全員にお年玉を配る。名前を知らないような超若手にも笑顔で配る。会えば渡し、会えば渡し。次々に配る。いやらしい話だが、仲の良い芸人さんに「あれって、いくら入っているんですかね?」と尋ねたことがある。「みんな均一で1万円入ってます」。
大金持ちのお坊ちゃんキャラがホラ吹きにならないくらいの金額を正月だけで使っていたことにもなるが、さらに男前なのはここに添えた一言。必ず「辞めなよ~」と言いながらお年玉を渡していた。
68年に「横山たかし・ひろし」を結成し、あらゆる漫才スタイルを試し、大金持ちのホラ吹き漫才で上方漫才大賞を受賞したのが94年。結成から26年をかけてたどり着いた栄冠だった。
「たかし師匠の『辞めなや~』には、浮き沈みのあったご自身の芸人人生の中から得た『辞めたら終わり。続けていれば誰かが見ていてくれる』という強い思いがあったと思っています」(実際にお年玉をもらっていた後輩芸人)
今回の訃報を受けて多くの関係者に取材をしたが、驚いたのが、こちらが電話をかけると向こうから、どんどんたかしさんとの思い出、エピソードを本当にたくさん伝えてきたことだった。
こちらとしては、訃報に際して話を聞くのは心苦しいところも多分にある。しかし、今回は「たかし師匠がどれだけ男前やったか、それがちょっとでも伝わるように、よろしくお願いします」とほぼ全員の関係者が同じことを最後に言ってきた。ここにこそ、たかしさんの生き様が表れている気がした。