同様の課題に日本より少し早く直面した欧州では、イギリス病、ドイツ病、オランダ病などという言葉が象徴するとおり、非常に長期の停滞を経験したが、労働条件を向上させつつ何とかその困難を克服しようと努力した。これに対して、日本は労働コスト引き下げで競争力を維持するという、より安易な方向に逃げ続けたのである。

 その一環として実施されたのが、一連の企業の労働コスト削減を支援する政策だ。(詳細は、2018年11月19日の本コラム「安倍政権の外国人単純労働者の受け入れ拡大は経団連のための低賃金政策だ」を参照)

 労働者派遣拡大などによる正規雇用から非正規雇用への大々的転換政策、留学生30万人計画による就労目的の外国人留学生導入政策、技能実習制度という名の外国人単純労働者受け入れ政策、そして、究極の国際競争のための賃金カットになる円安政策。

 これらは、低賃金により企業の競争力を維持する政策として機能した。目指す方向が労働コスト切り下げだから、労働者を守るはずの労働基準法もザル法のまま温存した。残業時間規制は名ばかりで事実上の青天井野放し、サービス残業という賃金不払いは当たり前、有給休暇も思うように取れない。最低賃金も先進国の7割程度で途上国にも負け始めている。とても先進国とは言えない労働環境が、2019年もまだ続いているのだ。

 その結果、日本の労働生産性は、G7諸国の中で最下位、先進国の中でも下位グループのままだ。低い賃金・労働条件とは、低生産性と同義である。労働条件の向上を可能にするためには、もっと儲けるか、企業の利益を削って労働者への分配を増やすかだが、後者は永遠に続けることはできない。つまり、企業は労働条件を上げるためにもっと利益を出す経営が求められる。そして、もっと利益を出すということは生産性を上げるということと同じだ。だから、働き方改革と同時に、生産性革命と叫ばれるのは、当然のことで、それはまた経営革命という意味でもある。

 人手不足は平成の初めには誰でも予見できた。私が課長補佐をやっていた90年代初めに、20年後に深刻な人手不足になると予測して、労働時間を短縮することなどを提言したことがある。共産党の当時の不破哲三委員長に国会で褒められて冷や汗をかいたものだ。課長補佐でもわかるくらい自明のことだったのだが、それから30年間、日本は必要な改革を怠った。

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遅きに失した日本の改革