このコラム記事が配信されるのが4月1日午前7時。同日昼前には、新しい元号がわかる。 発表当日はエープリル・フールの日だ。1日は新元号にまつわる様々なフェイクニュースがネット上に氾濫するかもしれない。
新元号「安晋(あんしん)」。という冗談は既に使い古されたのかもしれないが、どんな気の利いた話が出てくるか楽しみだ(こんなことを言うと、「不敬罪!」と言われそうだが)。
そして、これから1カ月は、「平成」を振り返る特集がテレビを占拠するだろう。
失われた30年とも言われる平成だが、「平成は良かった」という人が7割いるという(共同通信の世論調査)。過去の時代に比べて、戦争がなかったという意味では、確かに良い時代だった。天皇、皇后両陛下の思いが通じたのかもしれないとも思う。
一方、昨年11月に発表された大和ネクスト銀行によるインターネット調査では、平成の時代が「良かった」が39.8%、「良くなかった」19.9%、「どちらともいえない」が40.3%だったという。やはり、人それぞれという感じだ。
では、私自身、平成をどう総括するのかと問われたら、「昭和の遺産を食い潰した時代」と答えたい。遺産を使っても、次の時代に花開く新しい芽を育てたのであれば、「食い潰した」とは言わない。しかし、遺産を使った結果、残されたのは1100兆円の借金と崩壊寸前の社会保障制度だけ。次代を担う新たな産業や企業、そして世界に伍して競争できる若者は、ついに育たなかった。だから、「食い潰した」と言うのだ。
折しも、4月1日には、出入国管理法や労働基準法の改正法が施行される。実はこの二つの法律が日本の「失われた30年」を象徴するものであることに気づいている人はどれくらいいるだろうか。
いずれの法律も、少子高齢化による人手不足がその背景にある。
80年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本企業は、平成に入って90年代以降、急速に国際競争で優位性を失った。主として、低賃金を武器にしたアジア諸国の追い上げによるものである。本来は、ここで、日本の大企業は、賃金を含め高い労働条件でも競争できるビジネスモデルへの転換を図らなければならなかったのだが、そうはしなかった。